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「四季 秋」森博嗣 四季が語る妃真加島での殺人事件の真相

今回は森博嗣さんの「四季 秋」について書きたいと思う。ネタバレは最後の感想部にのみ含む。

本作は四季シリーズの第三弾であり、真賀田四季のファンにはやはり必見の作品だ。

概要

 「四季 秋」は2006年に文庫化された。「四季 春」から始まる四季シリーズの第三弾。ページ数は文庫版で291ページである。

 「すべてがFになる」から始まるS&Mシリーズ、そしてVシリーズともリンクする作品と言われる。なお、私はS&Mシリーズは全て既読、Vシリーズは未読である。

四季 秋 (講談社文庫)

あらすじ

妃真加島で再び起きた殺人事件。その後、姿を消した四季を人は様々に噂した。
現場に居合わせた西之園萌絵は、不在の四季の存在を、意識せずにはいられなかった…。
犀川助教授が読み解いたメッセージに導かれ、二人は今一度、彼女との接触を試みる。
四季の知られざる一面を鮮やかに描く、感動の第三弾。

前提

 S&Mシリーズは必読である。最低でもS&Mシリーズの第一弾、「すべてがFになる」を読むことは大前提だ。 また、これ以降は「ネタバレを含む」と記していない箇所でもS&Mシリーズのネタバレは含んでいる。 従って、S&Mシリーズを未読の方はまずそちらを読んでほしい。

 なお、同シリーズである「四季 春」と「四季 夏」は前提とまでは言えない。 それでも「四季 夏」は読んだ方が良いが、「四季 春」に関しては読んだ方が楽しめる、くらいの感触だ。 特にS&Mシリーズで真賀田四季に興味を持った人は、夏と秋を読むだけでスッキリするはずなので、それだけでもおすすめしたい。

 また、私は読んでいないが、夏・秋と出てくる瀬在丸紅子はVシリーズの主人公である(らしい)ので、Vシリーズも読んだ方がより楽しめるだろう。 本作の登場人物である保呂草や各務もVシリーズの登場人物であることを考えると比較的重要であろう。 ただし、私はVシリーズは完全な未読だが強烈な違和感を覚えるまでには至らなかった。 むしろVシリーズ読破へのモチベーションになったと感じる。

舞台と設定

 舞台は「すべてがFになる」の舞台から6年半後、「有限と微小のパン」の舞台からは3年後の世界である。 また、メインの登場人物は真賀田四季やその親族ではなく、犀川創平と西之園萌絵であり、S&Mシリーズ以来のコンビが再び見られる。

 強い脈絡はないが、犀川と萌絵が6年半前の妃真夏島の事件、つまりは真賀田博士が研究所を抜け出した真相を 明かそうとするのが物語の始まりである。

展開

 犀川と萌絵はあるきっかけと周囲の助力により、7年前に真賀田四季が残したメッセージに気づく。 それは妃真夏島の研究所に残されていたレゴブロックに記されていた、短いメッセージ。 日付と、イタリアの都市の地名(の略称)のみが記されている短文だった。

 犀川はその日付が目前に迫っていることを察し、萌絵と共にイタリアに向かうことを即座に決意する。

オススメポイント

ストーリー性 ★★★★☆
読みやすさ  ★★★☆☆
心情描写   ★★★☆☆
キャラクター ★★★★★

変化し、持続していく人間関係

 S&Mシリーズの主要人物が数多く登場し、そして萌絵と犀川の関係性についても豊かに描かれている。 S&Mシリーズで途中から、二人の進展を追いかけていた人も多いと思うが、そういう方にもおすすめできる。

 また、犀川研のメンバーや萌絵の叔母、儀同世津子、各務亜樹良といったお馴染みのキャラクターも登場し、 シリーズのファンにとってはそれだけで十分に価値があるだろう。また、瀬在丸紅子や保呂草といった、 これまでメインにはなってこなかったキャラクターも魅力的だ。恐らく、Vシリーズの読者にはたまらない展開だろう。

真賀田四季の思考

 ネタバレになるので詳細は伏せるが、天才・真賀田四季が妃真夏島の事件について口にする場面がある。 四季が両親を殺害した時のことや、その他の思想には触れる機会はあったが、実はあの事件について語るのは初めてであろう。

 また、この思想はそもそも嘘か真か測りかねるが、あらすじにもある通り正に「知られざる一面」であった。

 彼女のファンだという方は絶対に読まなくてはならないだろう。

感想(ネタバレ含)

長くなりそうなので一点に絞って話を進める。

妃真夏島の事件

 何といってもやはり、真賀田四季の語る妃真夏島の事件の真相であろう。
「まず第一に、私の娘の死因です。彼女は事故で亡くなりました。実験中に感電したのです。突然のことでした」
「私は亡くなった娘のために、あそこを出たのです」
「私は娘の死体を切り刻んだ」「彼女を救うために」

 まず、娘の死がどうこうではなく、そもそも四季が研究所を出なくてはならなかった理由については本作冒頭から疑問視されていた。

 自由になるためというのは普通の人間の発想であり、「思考だけが自由で、行動は完全にそのサブセット」と言う犀川の発言には大いに納得させられた。 実際に四季にとって「インプットの時間がボトルネック」であり「アウトプットの時間は後退」だとこれまでにも言及されていた。 つまり、現存するほとんど全ての知識を自らのものにし、頭脳のみで全ての知的活動が完結する四季にとって研究所を出る意味は本来なかった、と言うことである。

 それほどまでに常軌を逸する頭脳の持ち主である彼女だからこそ、上記のセリフは衝撃的だった。その理由はあえて言葉にするなら以下二点である。

1.) そもそも四季が娘を殺したわけではないという点

 S&Mシリーズでは、四季が娘を殺害した動機について、「娘(道流)に四季を殺害することを依頼したところ、拒否されたために逆に殺害した」となっていたはずだ。 これも常軌を逸した理由ではあるが、四季にしかわからない理由として十分に機能していた。

 だからこそ、それが事実ではなく、四季に娘を殺す意思がなかったこと、更に娘が自死を選ぶような人格であった(四季曰く)という事実は衝撃である。 ここで一気に、四季と娘の関係について意識せざるを得なくなった。彼女が娘にどう接していて、娘はどんな人格の持ち主なのか、突如興味が湧いてきた。

2.) 四季が「娘を救う」ことを選んだ点

 四季が娘にどう接していようが、娘がどんな人格であろうが、娘を救う、と言う選択があまりにも衝撃的だった。 手段こそ「クローン」という異質な方法であるが、それは大した話ではない(もちろん、娘の人格や記憶が残らないことを考えると一考の価値はある)。

 重要なのは四季が膨大な時間(四季にとって)と危険を冒してまで、娘のクローンを作成するという「行動」に出た点だ。 四季ほどの知性であれば、「道流が生きていると思えばよい」というのが最も現実的な選択だろう。

 「行動」に出た理由について、萌絵は「母性」だと感じ、犀川は「彼女のモラル」だと口にした。

 これはどちらも正解だと私は感じる。真賀田四季には社会に依存した価値観やモラルなどというものはなく、彼女は自らの価値観で クローンにしてでも娘を再び生み出すことを決意した。それは、あえて普通の人間の価値観に射影すれば「母性」と呼べるのかもしれない。

 もちろん実際には、道流に四季を越える頭脳があって何か現実的な価値があったのかもしれないし、あるいはバイオテクノロジィの権威であってまだ四季の知らない知識を持ち得る スワニィと接触し、その技術を実際に利用することに価値を感じたのかもしれない(スワニィはクローンが専門ではないということを考えると、何か別の技術の可能性もあるだろう)。

 しかし、四季が娘を救うという決意をしたのは事実であるし、そこには彼女ならではの価値観、ひいては母性にも似たものがあったとも言えるだろう。 これは正に、四季の知られざる一面だった。

 四季の価値観が「人間らしくない冷徹なもの」のではなく、ただ「社会に依存しないもの」であるというふうに認識の訂正をすることができるエピソードだろう。

最後に

 今回はシリーズの第三弾であり、前提本も多いことから、雑な説明になった。感想では私が特に気に入った点のみを記させていただいた。

 四季シリーズは文字通り真賀田四季のために存在するが、描かれ方、四季の人物像が毎回全く異なっている。それぞれに異なる良さ、異なる四季の魅力が詰め込まれている。 「四季 冬」を読むのも楽しみである。

 ところで、S&Mシリーズの時も思ったが、森博嗣さんは2000年前後でこれらの作品を書いているということだが、IT系の技術に関しては現在を予知しているかのような内容だ。 彼の専門は建築でコンピュータはその道具程度と聞いているが、彼には何が見えていたのだろうか? 最低でも当時のIT系の研究者・技術者と同程度の未来予想図を描いていたのではないだろうか、と想像してしまう。