かえでログ

読書の記録をメインに記します。

「AX」伊坂幸太郎 愛すべき主人公「兜」と鮮やかな伏線

 今回は伊坂幸太郎さんの「AX」について書きます。単行本版が出てからずっと気になっていたのですが、いつの間にか文庫化していたので慌てて買いました。

概要

 「AX」は2017年に刊行され、2020年に文庫化された。文庫版で364ページ。

 「グラスホッパー」「マリアビートル」に続く、殺し屋シリーズの第三弾。私は殺し屋シリーズの大ファンだ。

AX アックス (角川文庫)

あらすじ

「兜」は超一流の殺し屋だが、家では妻に頭が上がらない。一人息子の克巳もあきれるほどだ。 兜がこの仕事を辞めたい、と考えはじめたのは、克巳が生まれた頃だった。 引退に必要な金を稼ぐために仕方なく仕事を続けていたある日、爆弾職人を軽々と始末した兜は、意外な人物から襲撃を受ける。 こんな物騒な仕事をしていることは、家族はもちろん、知らない。 物語の新たな可能性を切り拓いた、エンタテインメント小説の最高峰!

登場人物

 唯一の主人公。既にベテランの殺し屋でありながら妻子持ち、更に文房具メーカーの営業という定職にもついている。 また、「三宅」という本名も作中で明かされるという、殺し屋シリーズの中でも異色のキャラクター。

 殺し屋ながら、恐妻家・家庭を愛している・知人を大切にする、といった非常に人間らしい性格。 殺し屋を引退したいと思っているが、諸々の事情でできなくなっている。

物語展開

 本作は兜がメインのストーリー。複雑な視点が描かれるということはあまりなく、基本的に彼にまつわるエピソードだ。 殺し屋シリーズでは、節の頭に視点主の印鑑が押される。 本作はほとんど「兜」という印鑑が押されていて、息子の「克己」の印が押されることも少ないながらある。

 また、本作の章のタイトルは「AX」「BEE」「Crayon」「EXIT」「FINE」となっている。Crayon までは、短編集のように物語が一旦完結する。 そして、後半のEXITとFINEは物語の核心に迫る部分がある。

 実際、Crayonまでが連載で、EXIT と FINE は書き下ろしのようだ(あとがきより)。

オススメポイント

ストーリー性 ★★★★★
読みやすさ  ★★★★☆
心情描写   ★★★☆☆
キャラクター ★★★★★

 私個人が「兜」のキャラクターが物凄く好きだった。 しかし、兜を素敵なキャラクターだと思えない人は大きく評価が落ちるだろう。 それくらいこの物語は「兜の物語」という印象が強い。

 なお、本作は別の殺し屋シリーズを読んでいなくても確実に楽しめる物語である。AXから読み始めても全く問題ない。

とんでもなくセンスの良い文章

 伊坂幸太郎さんは、元々ウィットに富んだ文章を書く人だと思うが、今回は特にそれが際立っているように感じた。 読んでいてつい微笑んでしまうような文章がたくさん仕込まれている。

 また、前半は特にシリアスでないパートが続き、楽しい気持ちで読み進めることができる。

兜という人物像

 兜という人物は相当に特殊な人物だ。伊坂幸太郎作品の中には、恐妻家、殺し屋、会社員といった主人公が既に存在するが、 その全てに該当するキャラクターはもちろんいない。

 前半は特に、彼の恐妻家としての生活ぶりや知人との付き合い方、殺し屋をやめられない事情、ということがメインに描かれ、彼の人の良さが伺える。 一方であっさり人を殺してしまう、殺し屋としての有能ぶり人の命に関してやや感覚がズレているという面も描かれる。

 そのバランス感覚が絶妙で、変わった人物ながら「奇人」ではなく「魅力的な人物」が完成している。

鮮やかな伏線

 伊坂幸太郎さんの伏線の鮮やかさは今回も際立っている。一時期「おや?作風変わった?」と思う時期もあったが、今回はイメージ通りの伊坂幸太郎作品だった。

 何気なく登場するキャラクターや一見どうでもいいけれども描かれている事柄等も注意して読んでいきたい。 単純に驚くような伏線だけでなく、後半には段々「お、これはまさか?ここであれか?」という期待感がある伏線もあって、大変面白い。

好きだった伏線まとめ(ネタバレあり)

 伏線というより、それは小ネタでは?というものもあるが、ここではそれを記していきたい。

 なお、読み終えた方向けの文章なので注意されたい。

自販機の小銭

 これは警備員に扮した人の良い殺し屋「奈野村」と兜が対峙した時のネタ。

 最後に兜は「釣り銭を取り忘れた、奈野村さんに譲るよ」と言い残す。 直後、奈野村は別の殺し屋に銃を向けられる。奈野村は「小銭を取りたい」といって釣り銭を取る許可をもらい、中に仕込まれていた銃で殺し屋を殺害する。

 このネタの面白いところは、それほど殺意の見えなかった兜が、最初から奈野村を殺す気満々だったということが明らかになる点だ。 自販機に事前に銃を仕込んでいた上に、対峙する瞬間から「小銭をチラつかせ」、挙句降伏しながら「小銭をとっていいか?」とまで言う。 少なくともこの時点では、奈野村を殺害する意志は相当に固い。

 その上で戦況が不利だったとはいえ、最後には兜は奈野村を殺さないばかりか、手を貸す選択をした。なんとも二人らしいエピソードだ。

クリーニング屋の店主

 これは全く気づかなかった伏線だ。

 そういえば、「なのちゃん」と言う名前だし、一人の客にしては明らかに克己のことをよく見ている。 それがまさか奈野村で、最終的に克己と兜を結ぶ決定的な役割を担うとは思いもしなかった。

 また、「私と息子の恩人」という台詞から、奈野村は息子も含めて存命だと想像できる。彼は無事に足を洗えたらしい。

ボウガン

 これは気づいた。そうでなくては、EXITの章で不自然に殺し以外の仕事を入れる必要がないからだ。 そういうわけで、あ、これは医師がボウガンで撃たれるな、と確信してワクワクしながら読んでしまった。

 実際のところ、こういう伏線(伏線だろうか?)の楽しみ方も面白かった。

キッズパークのチラシ

 これは伏線と言えるほどのものではないが、兜がどうして妻に惚れたのか、今でも本当に妻のことを大切に思っているのか、それらを象徴していたエピソードだろう。 もちろん、克己のことは明らかに大切にしていたが、妻のことをどう思っているかは微妙だった。

 妻対策ノートと同じ場所に、妻に出会った時に渡された「キッズパークのチラシ」をとっておいてあった、ということは 死の直前まで彼はそのチラシを意図的にとっておいた(少なくとも捨てようとはしなかった)ということだ。彼が生前、恐妻家でありながら、妻のことを愛していたことが窺える。

感想と最後に

 殺し屋シリーズは、魅力的なキャラクターが多い。私は蝉の上官である岩西や、押し屋の槿が特に好きだった。  本作にも登場する、桃、蜜柑、檸檬もとても魅力的なキャラクターだ。

グラスホッパー (角川文庫)

グラスホッパー (角川文庫)

マリアビートル (角川文庫)

マリアビートル (角川文庫)

 しかしそんな中でも、兜は私の中ではダントツ1位で好きなキャラクターだった。また、その兜がほぼ一冊主役を張り続けてくれたことがとても嬉しかった。

 また、EXIT や FINE がストーリーとして抜群に面白かったのはもちろんだが、個人的に好きな章は「Crayon」だ。知人の松田を交えて、兜の人柄が非常によく出ていた。 殺し屋として自分が「人道に外れている」という感覚をはっきりと持っていること、それから実際に「外れている」様子が垣間見えること、それでいて少ない知人を大切に思うこと。 この章で私ははっきり兜のファンになってしまった。だからこそ、EXITで兜の死があっさり記された時ショックは受けた。しかし、それも含めて魅力だと思えるキャラクターだ。

 さて、実は数年前に読んだ伊坂幸太郎作品(タイトルは出さない)が少々ピンと来ていなかった部分もあったが、今回、AXを本当に楽しく読めたことで再び伊坂幸太郎作品にハマりそうだ。

 単行本で気になっていたが手に取らず、最近文庫化された作品が何冊かあるので是非読んでいきたい。

   

週末読んでいた本の感想が難しいので、代わりに挨拶的な記事

 開設以降も何もしていませんでしたので、挨拶というか自己紹介記事を書きます。 読書歴なんかを振り返るきっかけでもあるので、書くのが楽しみです。

簡単な自己紹介

名前について

 「かえで」という名前を使っています。本名ではありませんが、ペンネーム、ハンドルネーム等は大体これです。 高校生の時にラジオに投稿していた時のハンドルネームに「楓」を使ったのがきっかけで、以降使っています。 表記にこだわりはなく、「カエデ」とするときも「楓」とするときもありますが、このブログでは「かえで」にしています。

 意味はもちろん植物のかえで。もみじです。

職業等

 プロフィールにある通り、20代中盤で都内でIT系の企業に勤めています。月〜金で8時間労働の、あまりにも普通な企業です。

 読書の記録をメインに書いているブログですが、せっかく自由に色々書ける場なので今後仕事等に関連することにも触れるかもしれません(もちろん業務内容は書けませんが...)。

読書歴について

 読書が習慣化したのは、ここ最近のことです。数日に一冊のペースで、小説をメインに読んでいます。 もしこの趣味が一過性のものだと、恐らくこのブログは早々に閉鎖することになります。

小学生の頃

 小学生の頃もなかなかの読書好きで、家では読書ばかりしていました。 当時は今みたいにスマートフォンやインターネットのサービスも盛んではなかったので、やることがなかったのかもしれません。

 推理小説をメインに読んでいて、アガサ・クリスティシリーズは図書室にあるものを読み尽くした覚えがあります(といっても10-20冊くらい)。 何やらシリーズ統一感のある赤い表紙だった覚えがあるのですが、実の所、15年以上前のことなので内容すらほとんど忘れてしまいました...。

 また、ファンタジー小説も結構読んでいました。これは司書さんにお勧めされていた記憶があります。 後に珍しいと気づいたのですが、通っていた小学校の図書室の司書さんは男性でした。

 ファンタジー小説は私が小学生の頃はダレン・シャン」、「ドラゴンラージャ」、「デルトラ・クエスト」あたりが全盛期でした。 今はどうでしょう?ライトノベルとかが図書室に置かれるようになっているのでしょうか?

ドラゴンラージャ〈1〉宿怨

ドラゴンラージャ〈1〉宿怨

デルトラ・クエストI (1) 沈黙の森

デルトラ・クエストI (1) 沈黙の森

デルトラクエストは確か第○シリーズ、みたいなのがあると思うのですが、私が読んだのは第一シリーズの1-8巻です。 ダレンシャンとドラゴンラージャはどちらも全て読み終えました。

デルトラ・クエストはやはりぼんやりとしか覚えていませんが、ドラゴンラージャとダレンシャンは比較的記憶に残っています。

中高生の頃

 中高生の頃は、部活動をやっていたのもあって読書量ががくんと減りました。 特に高校生の頃は、年々減っていって高校3年生の頃は片手で数えられるくらいの量しか本は読んでいません。

 ただ、中高生の頃に今でも好きな作家にたくさん出会いました。既に書いた、森博嗣さんや辻村深月さんもそうです。 その他にも伊坂幸太郎さん、百田尚樹さんといった大人気作家の本をバラバラと読んでいたのがこの時期です。

鍵のない夢を見る (文春文庫)

鍵のない夢を見る (文春文庫)

重力ピエロ (新潮文庫)

重力ピエロ (新潮文庫)

モンスター (幻冬舎文庫)

モンスター (幻冬舎文庫)

 それぞれの作家で私が最初に読んだ作品を載せておきました。こうしてみるとやはり名作から入っています。

 余談ですが、ライトノベルの市場が一気に拡大したのもこの頃だと思います。アニメ化とかが一気にされるようになった頃ですね。 合わせて、SSやウェブ小説も流行っていて、最初は二次創作がメインだったのが、段々オリジナルが流行るようになった印象です。

 私はライトノベルは2、3シリーズしか読んだことがありません(シリーズ物が多くて一歩目が遠かった)が、 オリジナルのウェブ小説・SSを読むのは好きでした。

 と、思って当時読んだSSをいくつか検索していたら漫画化されているものがあってびっくりしました...!

 「なろう系」みたいにウェブ小説が商品化・マルチメディア化する現象は知っていましたが、自分が昔読んでいた作品があると驚きます。

 正に「大人買い」ができるようになった年なので、こうした漫画、ライトノベル等も今後読んでいきたいところですね。  

大学生以降

 高校生の頃よりは読書量が増えましたが、大学時代まだ「趣味は読書です」と言えるほどではありませんでした。月に数冊くらいだと思います。 この頃からは大衆小説がメインで、平積みされている本や人気作家の本を適当に買って読んでいる感じでした。今も同じです。

 本格的に読書をするようになったのは社会人になってからです。 というわけで、いわゆる「趣味:読書」になってからの歴はかなり浅く、好きな作家やジャンル等も探り探りです。

ブログ開設のきっかけと今後

きっかけ

 このブログを始めた一番のきっかけは「本を整理したとき」でした。

 引っ越しや掃除を機に、知人に譲ったり、廃棄したりする本が出てきました。 最近ではそもそも電子書籍で買う場合も出てきていて、なかなか形に残りません。 実際に形に残らないのが何となく寂しくて、記録に残そう、と思ったのがきっかけです。

 今は書評のような感じになっていますが、段々感想がメインになっていくかもしれません。 それは主たる目的が自分の読書録を残すことだからです。

 とはいえ、見てもらいたくてブログにしたというのも事実なので、見やすい記事にしていきたいとも思います。

今後について

 実は読書は文庫化された作品をメインに買って読んでいるので、今読んでいる本も何年か前に刊行されたものばかりです。 というわけで、数年前の作品が多めかもしれません。

 それから、半年ほど前に kindle unlimited の会員になったのに全然利用していないので、この辺りから小説をピックして読んでいこうとも考えているところです。

 開設時からは今日までは毎日投稿していますが、元々1週間に2、3冊程度のペースなので、更新頻度もその程度だと思います。  

最後に

 身勝手な読書録的な記事が主体になりますが、もしご興味を持ってくださる方がいたら、お付き合いいただければ幸いです。

「四季 冬」森博嗣 天才・真賀田四季視点で描かれる世界

四季 秋」に続いて「四季 冬」も読んだので、それについて記したいと思う。

なお、今回は作品の特性上、一切のネタバレを含まない(抽象的な記事になる)。

概要

 「四季 冬」は2006年に文庫化された。「四季 春」「四季 夏」「四季 秋」に続く第四弾にして完結編。

 四季の終着点とも表現される(らしい)。

四季 冬 Black Winter (講談社文庫)

あらすじ

「それでも、人は、類型の中に夢を見ることが可能です」四季はそう言った。
生も死も、時間という概念をも自らの中で解体し再構築し、新たな価値を与える彼女。
超然とありつづけながら、成熟する天才の内面を、ある殺人事件を通して描く。
作者の一つの到達点であり新たな作品世界の入口ともなる、四部作完結編。

まずはじめに

 本作は四季シリーズの最終譚なので当たり前ではあるが真賀田四季がどんな人物か理解していないと読むのが難しい。 私はS&Mシリーズ、四季シリーズで四季に惚れ込んできたつもりだったが、本作の半分近くは意味がよくわからなかった。 意味を理解しようとすること自体や、あるいは理解できないこと、もしくは意味ではない何かを楽しむ芸術のような作品だと感じた。 Vシリーズ、Gシリーズなどの別シリーズを読み込んできた人にとっても、本作はそう遠くない位置付けなのではないだろうか。

 例えば、本作にはいわゆる常人がイメージする「ストーリー」は存在しない

 もちろん、あらすじにもある殺人事件が物語の主題であり、 それを通じて四季が再会する人物とのやりとりがメインなのは間違いないが、 それが果たして「ストーリー」かと言われると大いに疑問が残る。

 なお、時代設定や場所の設定もほとんど登場しない。

四季視点

 その異常な構成の主たる理由は、本作が四季視点で進むことにある。

 完璧な記憶を残すことができる彼女にとって、過去とはいつでも体験できることであり、ほとんど完璧なトレースや予測ができる彼女にとって 未来とはまだ実現していないだけの現実である。つまり、彼女にとって時間とは一方に等速で流れる物ではない。

 それゆえ、本作を読んでいてもそれが現在の話なのか、過去の話なのか、それとも四季が想像している未来の話なのか、読者にはわからない(当然、それらの場面は高速で切り替わる)。 また、仮にあらすじにある殺人事件が起きている時を「現在」とすることもできるが、だとすると「現在」が描かれているページは短い。 それは別の場面を「現在」としても同様である。

 また、別シリーズでの知識の補完や、本書の精読によって時間軸に沿った整理や現実と想像の区別が可能かもしれないが、それは本作の楽しみ方の1つに過ぎないだろう。 なぜなら、四季自身がそういう捉え方をしていないため、メタ的な楽しみ方と言わざるを得ないからだ。

オススメポイント

(特殊な構成なので★での評価は控えます)

四季視点だからこそ垣間見えるもの

 四季は常に同時に多数の処理を行っている。これは並列(pararell)か並行(concurrent)に行われているという意味であり、そのどちらかに限定されてはいないようだ。 並行ではなく並列に物を考える能力に関しては、ただそれが僅かにできるだけでも、実際の世界では天才と呼ばれるだろう。

 世界中で未解決の問題を常に解きながら、四季自身が「生とは何か」「人類はどこに行くか」といったある種哲学的な問いに対し、 自問自答あるいは基志雄との対話(これも自問自答だが)の中で思考を続ける。

 その中に四季自身が世の中をどういう風に捉え、他者をどう見ているかが含まれている。ここが四季のファンにとっては貴重な点だろう。

芸術的な文章

 意味を理解するのではなく、情景を想像し、文章のリズムを感じることを楽しめる人には本作はおすすめできる。

 私は詩や文芸を心から楽しむ価値観を獲得していないため、これについては表現が難しいが、 仮に四季のファンでなくともこうした芸術的な文章が好きな方にはオススメできるだろう。

感想

 本作を読むと、自身が四季をどう捉えていたかを振り返る機会になる。 というのも本作は四季視点でありながら、多角的な四季の姿が見られるからだ。

 普段通りの超常的な知性、彼女が大人になった後の基志雄とのバランスの取り方、 彼女にとっての娘の存在、そして孤独や漠然とした満たされなさ(四季曰く「つまらない」基志雄曰く「寂しい」)に対する悩み。

 それら全てを垣間見ることができる。その中で「四季はそうだろう」と納得することもあれば、 「四季レベルになるとこうなんだ」と新たな発見をしたような気持ちになることや、 「え、四季でもこんなこと思うの?」という共感(僅かな失望)もある。

 そして読書なのだから当然なのだが、四季がどうであるか理解するのではなく、自分は四季にどうあって欲しい、という理想を固定することができる。 正に四季シリーズを締め括るにふさわしい作品だったとも言える。

 例えば私は、四季には超常的な人物であって欲しい。全ての問題を解決し、そして凡人の感情すらも容易に想像できるような人物であって欲しい、と思った。 もちろん、四季がそういう人物として描かれている、という意味ではない。私が、そうあって欲しい、と最後に思ったという意味である。  

最後に

 本作で四季シリーズは幕を閉じた。判然としない部分がありながらも、完結編に相応しい、と誰もが思うのではないだろうか。

 ところでエピローグ、S&Mシリーズでも幾度となく見直したシーンだった。私自身このシーンを読んだのは随分前の話であり、 内容を思い出したり、そしてその時の自分の環境のことを思い出したりして懐かしく思った。

 四季にとってはこのシーンも「正に今経験できること」であり、直ちに別の冬のシーンとも結びつけるような回想もできる。 四季に超常的な人物であって欲しいと思いながら、凡人の自分と同じように過去を思い出す四季を好ましく思い、 しかも同時にその記憶の完全性を羨ましく思うのだから、私はとんでもなく凡人なのだと思った。

「四季 秋」森博嗣 四季が語る妃真加島での殺人事件の真相

今回は森博嗣さんの「四季 秋」について書きたいと思う。ネタバレは最後の感想部にのみ含む。

本作は四季シリーズの第三弾であり、真賀田四季のファンにはやはり必見の作品だ。

概要

 「四季 秋」は2006年に文庫化された。「四季 春」から始まる四季シリーズの第三弾。ページ数は文庫版で291ページである。

 「すべてがFになる」から始まるS&Mシリーズ、そしてVシリーズともリンクする作品と言われる。なお、私はS&Mシリーズは全て既読、Vシリーズは未読である。

四季 秋 (講談社文庫)

あらすじ

妃真加島で再び起きた殺人事件。その後、姿を消した四季を人は様々に噂した。
現場に居合わせた西之園萌絵は、不在の四季の存在を、意識せずにはいられなかった…。
犀川助教授が読み解いたメッセージに導かれ、二人は今一度、彼女との接触を試みる。
四季の知られざる一面を鮮やかに描く、感動の第三弾。

前提

 S&Mシリーズは必読である。最低でもS&Mシリーズの第一弾、「すべてがFになる」を読むことは大前提だ。 また、これ以降は「ネタバレを含む」と記していない箇所でもS&Mシリーズのネタバレは含んでいる。 従って、S&Mシリーズを未読の方はまずそちらを読んでほしい。

 なお、同シリーズである「四季 春」と「四季 夏」は前提とまでは言えない。 それでも「四季 夏」は読んだ方が良いが、「四季 春」に関しては読んだ方が楽しめる、くらいの感触だ。 特にS&Mシリーズで真賀田四季に興味を持った人は、夏と秋を読むだけでスッキリするはずなので、それだけでもおすすめしたい。

 また、私は読んでいないが、夏・秋と出てくる瀬在丸紅子はVシリーズの主人公である(らしい)ので、Vシリーズも読んだ方がより楽しめるだろう。 本作の登場人物である保呂草や各務もVシリーズの登場人物であることを考えると比較的重要であろう。 ただし、私はVシリーズは完全な未読だが強烈な違和感を覚えるまでには至らなかった。 むしろVシリーズ読破へのモチベーションになったと感じる。

舞台と設定

 舞台は「すべてがFになる」の舞台から6年半後、「有限と微小のパン」の舞台からは3年後の世界である。 また、メインの登場人物は真賀田四季やその親族ではなく、犀川創平と西之園萌絵であり、S&Mシリーズ以来のコンビが再び見られる。

 強い脈絡はないが、犀川と萌絵が6年半前の妃真夏島の事件、つまりは真賀田博士が研究所を抜け出した真相を 明かそうとするのが物語の始まりである。

展開

 犀川と萌絵はあるきっかけと周囲の助力により、7年前に真賀田四季が残したメッセージに気づく。 それは妃真夏島の研究所に残されていたレゴブロックに記されていた、短いメッセージ。 日付と、イタリアの都市の地名(の略称)のみが記されている短文だった。

 犀川はその日付が目前に迫っていることを察し、萌絵と共にイタリアに向かうことを即座に決意する。

オススメポイント

ストーリー性 ★★★★☆
読みやすさ  ★★★☆☆
心情描写   ★★★☆☆
キャラクター ★★★★★

変化し、持続していく人間関係

 S&Mシリーズの主要人物が数多く登場し、そして萌絵と犀川の関係性についても豊かに描かれている。 S&Mシリーズで途中から、二人の進展を追いかけていた人も多いと思うが、そういう方にもおすすめできる。

 また、犀川研のメンバーや萌絵の叔母、儀同世津子、各務亜樹良といったお馴染みのキャラクターも登場し、 シリーズのファンにとってはそれだけで十分に価値があるだろう。また、瀬在丸紅子や保呂草といった、 これまでメインにはなってこなかったキャラクターも魅力的だ。恐らく、Vシリーズの読者にはたまらない展開だろう。

真賀田四季の思考

 ネタバレになるので詳細は伏せるが、天才・真賀田四季が妃真夏島の事件について口にする場面がある。 四季が両親を殺害した時のことや、その他の思想には触れる機会はあったが、実はあの事件について語るのは初めてであろう。

 また、この思想はそもそも嘘か真か測りかねるが、あらすじにもある通り正に「知られざる一面」であった。

 彼女のファンだという方は絶対に読まなくてはならないだろう。

感想(ネタバレ含)

長くなりそうなので一点に絞って話を進める。

妃真夏島の事件

 何といってもやはり、真賀田四季の語る妃真夏島の事件の真相であろう。
「まず第一に、私の娘の死因です。彼女は事故で亡くなりました。実験中に感電したのです。突然のことでした」
「私は亡くなった娘のために、あそこを出たのです」
「私は娘の死体を切り刻んだ」「彼女を救うために」

 まず、娘の死がどうこうではなく、そもそも四季が研究所を出なくてはならなかった理由については本作冒頭から疑問視されていた。

 自由になるためというのは普通の人間の発想であり、「思考だけが自由で、行動は完全にそのサブセット」と言う犀川の発言には大いに納得させられた。 実際に四季にとって「インプットの時間がボトルネック」であり「アウトプットの時間は後退」だとこれまでにも言及されていた。 つまり、現存するほとんど全ての知識を自らのものにし、頭脳のみで全ての知的活動が完結する四季にとって研究所を出る意味は本来なかった、と言うことである。

 それほどまでに常軌を逸する頭脳の持ち主である彼女だからこそ、上記のセリフは衝撃的だった。その理由はあえて言葉にするなら以下二点である。

1.) そもそも四季が娘を殺したわけではないという点

 S&Mシリーズでは、四季が娘を殺害した動機について、「娘(道流)に四季を殺害することを依頼したところ、拒否されたために逆に殺害した」となっていたはずだ。 これも常軌を逸した理由ではあるが、四季にしかわからない理由として十分に機能していた。

 だからこそ、それが事実ではなく、四季に娘を殺す意思がなかったこと、更に娘が自死を選ぶような人格であった(四季曰く)という事実は衝撃である。 ここで一気に、四季と娘の関係について意識せざるを得なくなった。彼女が娘にどう接していて、娘はどんな人格の持ち主なのか、突如興味が湧いてきた。

2.) 四季が「娘を救う」ことを選んだ点

 四季が娘にどう接していようが、娘がどんな人格であろうが、娘を救う、と言う選択があまりにも衝撃的だった。 手段こそ「クローン」という異質な方法であるが、それは大した話ではない(もちろん、娘の人格や記憶が残らないことを考えると一考の価値はある)。

 重要なのは四季が膨大な時間(四季にとって)と危険を冒してまで、娘のクローンを作成するという「行動」に出た点だ。 四季ほどの知性であれば、「道流が生きていると思えばよい」というのが最も現実的な選択だろう。

 「行動」に出た理由について、萌絵は「母性」だと感じ、犀川は「彼女のモラル」だと口にした。

 これはどちらも正解だと私は感じる。真賀田四季には社会に依存した価値観やモラルなどというものはなく、彼女は自らの価値観で クローンにしてでも娘を再び生み出すことを決意した。それは、あえて普通の人間の価値観に射影すれば「母性」と呼べるのかもしれない。

 もちろん実際には、道流に四季を越える頭脳があって何か現実的な価値があったのかもしれないし、あるいはバイオテクノロジィの権威であってまだ四季の知らない知識を持ち得る スワニィと接触し、その技術を実際に利用することに価値を感じたのかもしれない(スワニィはクローンが専門ではないということを考えると、何か別の技術の可能性もあるだろう)。

 しかし、四季が娘を救うという決意をしたのは事実であるし、そこには彼女ならではの価値観、ひいては母性にも似たものがあったとも言えるだろう。 これは正に、四季の知られざる一面だった。

 四季の価値観が「人間らしくない冷徹なもの」のではなく、ただ「社会に依存しないもの」であるというふうに認識の訂正をすることができるエピソードだろう。

最後に

 今回はシリーズの第三弾であり、前提本も多いことから、雑な説明になった。感想では私が特に気に入った点のみを記させていただいた。

 四季シリーズは文字通り真賀田四季のために存在するが、描かれ方、四季の人物像が毎回全く異なっている。それぞれに異なる良さ、異なる四季の魅力が詰め込まれている。 「四季 冬」を読むのも楽しみである。

 ところで、S&Mシリーズの時も思ったが、森博嗣さんは2000年前後でこれらの作品を書いているということだが、IT系の技術に関しては現在を予知しているかのような内容だ。 彼の専門は建築でコンピュータはその道具程度と聞いているが、彼には何が見えていたのだろうか? 最低でも当時のIT系の研究者・技術者と同程度の未来予想図を描いていたのではないだろうか、と想像してしまう。

「島はぼくらと」辻村深月 地方都市特有の息苦しさと美しさ

 今回は辻村深月さんの「島はぼくらと」について記したいと思う。

 まず、概要、あらすじ、おすすめポイントを記し、最後にネタバレを含む感想を記す。  

概要

 「島はぼくらと」は2013年に刊行され、2016年に文庫化された。ページ数は文庫版で415ページ。

 辻村深月作品といえばミステリーやSF作品が代表的だが、青春小説もまた有名であり、「島はぼくらと」もそんな小説の1つだ。

島はぼくらと (講談社文庫)

あらすじ

この島の別れの言葉は「行ってきます」。きっと「おかえり」が待っているから。
瀬戸内海に浮かぶ島、冴島。朱里、衣花、源樹、新の四人は島の唯一の同級生。
フェリーで本土の高校に通う彼らは卒業と同時に島を出る。
ある日、四人は冴島に「幻の脚本」を探しにきたという見知らぬ青年に声をかけられる。
淡い恋と友情、大人たちの覚悟。旅立ちの日はもうすぐ。別れるときは笑顔でいよう。

舞台

 物語の舞台は冴島、という瀬戸内海に浮かぶ島である。組制度があり、村長や網元の影響力が非常に大きい、イメージ通りの「田舎」だ。 Iターンの受け入れや観光業で多少の潤いがあり、人口は少ないながらも持続可能なコミュニティが形成されている。

登場人物

 物語は4人の高校生をメインに進む。朱里、衣花、新、源樹の4人である。

池上朱里

 実質的な主人公として進み、思いやりのある純粋な少女であり、3人のことを特別大切に思っている。

榧野衣花

 網元の娘であり、美人で垢抜けたややクールなキャラクターとして描かれている。 その立場もあり、最も複雑な悩みを抱えているとも言えるが、優しさと強さを併せ持った人格として描かれる。

矢野新

 視点が置かれることも多く、自身の夢や他の3人のことに対して真っ直ぐな少年。 船の時間があって限られてしまう時間の中で部活動に参加したり、兄弟の面倒を見るハツラツさを持つ。

青柳源樹

 源樹は幼い頃に冴島に越してきたIターン組で、クールでややヤンチャな印象を与えるが、やはり仲間思いな少年。 都会出身で、冴島ではホテル青屋を経営する家庭に育ち、3人と比べてやや都会的な雰囲気や意見を持っている。

物語展開

 上記4人とその家族を中心に、都会からIターンでやってきたシングルマザーの蕗子、地方都市振興支援事業に勤めるヨシノ、など それぞれに背景のある個性的なキャラクターを交えて物語は展開する。

 最初は短編集のように1つ1つのテーマ毎に物語が展開する。冴島に訪れるいくつかのトラブルや出来事を乗り越えながら、 場面場面での各登場人物の感情が実に多彩に描かれる。また、それらを乗り越えた感情の変化も見どころだ。

 後半はあらすじにある通り、旅立ちの日を迎える4人の心情が厚みを持って描かれる。ここが物語の主題とも言え、 誤解を恐れずに言えば、その前までの展開は最終章をより際立たせるためにある。

オススメポイント

ストーリー性 ★★★☆☆
読みやすさ  ★★★★☆
心情描写   ★★★★★
キャラクター ★★★★☆

生々しさ

 本書の良さといえば、やはりその「生々しさ」である。

 本書は地方都市、いわゆる「田舎」が舞台である。地方都市といえば、誰もがイメージするのはその「当人たちの居心地の良さ」「排他的な雰囲気」だろう。

 本書ではそうした良い点・悪い点が、これでもか、というくらいにリアルに描かれている。 しかし、そこに重苦しさはなく、登場人物それぞれに起きる出来事や回想を中心に読みやすく描かれている。

心情描写と人間関係

 先の展開が気になるような、アップダウンのあるストーリーではなく、心情描写や人物の関係性に重きを置いて描かれている。 作中にない部分まで、細かい人間関係の設定が練られているのだろうと想像できるほどリアルなコミュニティが描かれている。

 4人が旅立ちの日を迎えるまでが描かれるが、最後にはその純粋さに心を打たれる作品である。 最終章までに自然に積み重ねられた4人の関係性を含めて、別れの日をいざ迎える4人の姿はまさに涙なしに読み進めることはできない。

 しかし、読み終えた後は4人の境遇を想像して少しの寂しさを覚えつつも、明るい気持ちになれる爽やかな読後感である。 ハードな物語や、設定が奇抜な小説を好む人でも後悔しない作品であると自信を持っていえる。  

詳細と感想(ネタバレ含)

 本書は4人の関係性をメインにしつつも、途中のそれぞれの展開は地方都市特有の個性を実に生々しく映し出している。

第一節

 第一節では、多様な登場人物をくまなく登場させた上で、霧崎という都会から来たクセのある異分子を投入することで田舎の結束力の強さを強調している。 彼は作中、悪役と言ってもよい性格の人物として描かれるが、はっきり言ってこの程度の人物は都会ではありふれている。ビジネス的な場面では尚更だ。 それを全員が共通して「不穏だ」と表現することで、村の結束力の強さが描かれている。 また、同時に本木というIターンの青年を同時に肯定的に描くことで「排他的」ではなく「結束力が強い」というプラスな印象を与えている。

 また、第一節は「幻の脚本」を含めたいくつかの伏線を張っている。いずれ回収されるだろう、という空気感は見えるものの、実に自然だった。

第二節

 第二節では、逆にその結束力の強さゆえの違和感や息苦しさが描かれている。 本節では蕗子を中心に物語が進むが、そこで異常なまでのリアルさを持った過去が語られた。 私が特に印象深かったのは、銀メダルを獲得した彼女が彼女の地元で持て囃されたエピソードであった。 蕗子が小学生の時、「多葉田さん」と大人っぽく呼んでくれた校長先生が、彼女が有名になった後「蕗子ちゃん」と呼ぶようになった、というエピソードである。 この切なさは実体験でないにも関わらず、読者に突き刺さる表現だった。 本節には「故郷ほど自分を大切にしない場所はない」といった強い表現も目立ち、否定的な側面が描かれている。

 それ以外にも「有名人になるということ」や「家族との関係」といったテーマが描かれているが、最終的には本節も明るい締まり方をする。

第三節

 第三節は村長の排他的な人格が明らかに描かれている。そして、それゆえの小さなコミュニティを自治することの難しさも明らかになる。 これはあまりにもイメージ通りの「田舎の負の側面」であった。 しかし、村長に対する怒りが湧いて来たとき、「それほど『冴島』という場所が自分にとってリアルな場所として想像されている」と気づき、 辻村深月さんの筆力に驚かされた。

 また、そんな中でもこうした田舎特有の「別れをも包含した人間関係」として蕗子とヨシノのことが描かれる。

 これは最終節で4人の旅立ちの話の良い前座としても機能していると感じた。

第四節

 最終節はいよいよ4人の物語となる。ここでは「スロウハイツの神様」の赤羽環(私は彼女の大ファンなのでたまらないエピソードだった)や 第一節の伏線を含めた物語が展開しつつ、4人の絆の深さが描かれている。

 そして、そこまで描かれていたからこそ、旅立ちは切なかった。

 最後の衣花がたまらずに泣き出すシーンでは私も同じタイミングで涙した。セリフだけ抽出すれば
「朱里、行かないで」
「衣花が嫌なら、行かないよ」
「ごめん。もう言わない。ごめん、ずっと言わなかったら爆発しちゃった。私、来年が来るのがものすごく寂しいです」
たったこれだけである。

 しかし、地の文の表現力や積み重ねてきた人間関係もあり、ここが物語のピークとして全読者に強烈に訴えかけている。

 また、エピローグも過剰に明るく描かれることもなく、かつ複雑な心情や感情を覗かせることもなく、爽やかに描かれている。 特に衣花はエピローグを迎えるまでの歳月の中で、寂しい思いや複雑な思いに幾度となく苛まれることもあっただろう。 新との関係という新しいテーマに悩んだこともあったかもしれない。

 それらを全部含めて、「冴島の日々は、続いていく。」のだろうと感じた。

最後に

 本書では生々しい舞台設定の中で、4人の爽やかな関係と純粋さに涙を飲んだ。

 きっと何度読んでも同じように涙する自信があるし、それほどまでに「冴島」が自分の中に根付いたのだと思う。 改めて、辻村深月さんの筆力には驚愕するばかりだ。

 なお、上述した「スロウハイツの神様」に関しては読んだのが随分昔であるため、恐らく記事を書くことはない。 しかし、伏線回収などのストーリー性が大変豊かで特徴的なキャラクターがたくさん登場する魅力的な小説だ。 まだ読んでいない人には是非読んで欲しい。